三毛猫の引きだし・・・イラストレーター・ライター美和子のブログ

イラスト、文章、旅、映画。 好きだらけでぱんぱんの引き出し。

2015年11月

東京で、会社勤めと並行してイラストレーター、ライターをしています。
かわいいイラストと心のお話が大好き。

Instagram→mike.miwako

花は銃より強し。

世界平和について、
小さな個人としてのあり方をもんもんと考えていたところに出会った、
この、ニュースの
フランス人の父と息子のインタビュー動画。


短い動画で、
ごく簡単な英語字幕がついているので、すぐに見られるかと思います。





私たちができるのは、
本当にこういうことだ、と思った。


傷ついた小さな息子の心に残すべきものは、
血痕や銃弾の跡よりも
花の匂いとキャンドルの灯火だ。

この父親のしていることは、
小さいけれど、未来をつくることだ。

映画のLife is beautifulを思い出した。



どちらの側に組するでもないけど、

パリの街を見て、フランス人を見て、
畏敬の念を抱いたのは、
彼らのこういうあり方に対してだ。


少し、気持ちが止まっていたけれど、
この美しい可愛い言葉を学びたいという気持ちにまた火が灯る。




こういうふうに、大人になりたい。

硬い強さより、
しなる強さが欲しい。

テロが止まない世界の中で。

政治的な知識もない自分が言えることなんてあまりないけど、
モヤモヤがずっと晴れない。

パリの事件について、友人3名からメールをもらって、それぞれみんな、動揺して、悲しんでいて、
普段、政治的なことでメールをもらうことなんてないから、(私が旅行に行ったばかりだからくれたんだけど) 
FBの中も混乱していて、見ていると消耗して、
本当に、インパクトが大きかったんだなぁと思う。

トリコロールにはしなかったけど、
プロフィール写真は、(もともと)モンサンミッシェルだ。

私の脳内お花畑に組み込まれていたパリっていう言葉が
一夜にして全く違う含みをもつ言葉になって、
そんなに深いつながりはないけど、
やっぱり、ずっと心が重たい。  
ぼんやりと泣けてくる。
 

んでも、

テロは、駆逐できるもんじゃないと思う。
誰かがテロリストに生まれるんじゃなくて、たくさんの絶望を見てテロリストになるから。

爆弾を落としたら、テロリストは減るどころか増えると思う。

あと、何かで読んだのが、
世界の中の富と軍事力にこれだけ差があるんだから、

もう、強国ではない国が、真正面から、正攻法の戦争なんて仕掛けられるわけがない。
正しい戦争というのは強者のルールで、
強国じゃない国が戦おうとしたら、テロという形になるのは当然の帰結だ、というので、

もちろんそこに正しさなんてないけれど、
世界のどこかに虐げられて押さえつけられて鬱屈している人たちがいる限り、
テロは起きて、

1つの集団の問題じゃなくて、世界全体のあり方の話で。

だからなんだという話なんだけど。どうしたらいいかわからないけど。

どんな形であれ、人殺しは人殺しで、
それがなるべくない形を、選挙とか、日々の自分のあり方とか、考えていくしかできない。
考えるのがしんどいけど、そうも言っていられない。

なんにも解決になってないけど、
早くて、大規模で、シンプルな解決策は、たぶん人をたくさん殺すし、憎しみの量を増やす気がする。

レビュー : セレステ&ジェシー


セレステ: ラシダ・ジョーンズ
2013-11-02




大袈裟なことは何も起きないのに、
観ていて、
殴られているような気持ちになる、
痛い映画だった。


ざっくりと少しストーリを書いてしまうと、
自分から離婚を切り出したセレステが、
実際に彼が自分から離れていく過程の中で、
内心、後悔しつつも、
それを見せないように、
サバサバした感じでふるまっているんだけど、
だんだんどんどん重くなってきて、サバサバどころではなくなってきて、、、
というお話。(ザックリ。)



自分の中にも、
友人達の中にも、
何度も、セレステの姿を見たことがある。


仕事が、恋愛が、うまくいかなくて、

自分の正しさとか、
優越を証明したくて、
わざと強い言葉を使って、
でも、傍からみたら、そのから威張りが
見え透いていて、痛々しくて、

うまくいっているように、
余裕があるように見せたくて、
情けない自分の埋め合わせをしたくて、

見栄えのすることで時間を埋めて、
でも、気持ちがついて行かなくて、
心がどんどん削られていく。


自分のプライドが、
どんどん自分を締め付けていく。






セレステが、仕事でプロモーションをすることになった、
大嫌いな、見下していた、
若くてバカっぽい歌手の女の子。

その子が、彼氏に浮気をされたと泣いているときに、
セレステが、「大丈夫だから」とハグしてあげるシーン

抱き合う女性2人の、
情けなさと、いじらしさが、
すごくよくて、
泣けてくるのだ。

若いアイドルにも、
自分と同じように、
生活があって、恋があって、
感情があって、苦しみがあって、、、

そういうふうに、
見下していた相手に対して、
同じ位置で目線を合わせられるようになったとき、

セレステは
ひとつ大人になったんだな、と思った。


年齢や社会的地位から行って、
彼女はもう十分に大人だけど、 

大人は、少しずつ、何度でも、
大人になっていくのだと思った。

遅すぎることはなくて、
何度でも間違えるし、
何度でも反省できる。

軌道修正もできる。
謝ることだってできる。






思い描いていた未来が断ち切られる。
周りの幸せを素直に祝えない。
自分の情けなさやカッコ悪さに辟易する。

でも、それでも、なんだか悪くない。
しんどいけど、でも笑えてくる。

なんだかんだで、
別れた相手も、周りの友人も、自分自身も、
たまに憎たらしいけれど、
愛していて、
幸せを祈ったりできて、
そうしていると、あー、幸せかもなって思える。



幸せじゃないんだけど、幸せな映画で、 
観ていて、
つらいよーってジタバタしつつ、
クスクス笑ってしまって、

そうそう、こういうことって思う。



みんな、わりとしょーもなくて、 

人生は、とても可愛い。




うーん、よかった。

ちょっとしょんぼりしたときに、
また観たい映画でした。


レビュー:天井桟敷の人々 (あと、フランス映画ってなんなんだろう、というおはなし)

天井桟敷の人々 HDニューマスター版 [DVD]
アルレッティ
エスピーオー
2010-05-05







フランス旅行に行ってから、

フランス語の勉強を始め、

フランス映画をたくさん観ている。

 

 

今日観たのは、 「天井桟敷の人々」

 

 

 

第二次世界大戦中、ナチス占領下のフランスで製作された、

フランス人の美と自由への執念が感じられる超大作。

 

 

たしかに、観終った後、しばらく言葉をなくすほどすごかった。

 

 

 

でも、はっきりいって、

フランス映画を観るのは苦しい。

だいたい破滅に向かって行って終わるんだもの。

 

 

みんな、

自分の愛の気持ちばっかりで、

そのためだけに動いて、

 

そのうねりに周囲の人々も巻き込まれ、

誰かの人生が狂ったり、死んだりして、

結局、最後は誰も幸せにならなくて。

 

 

なんでだよって思う。  

 

 

ちょっとは我慢してよ。

周りのことも考えてよ。

大人でしょ。

 

 

というか、ここまで身勝手にやったのなら、

せめて最後にちょっとくらいは、幸せになってくれ。

ほんの一筋でいいから、希望の光を見せてくれ。

 

 

 

 

自分は

一生懸命、感情にフタをして、

なんとか、大人になったような気がして

日々を歩いていっているのに、

 

この人たちは、なんでこんなに、

ワガママで、正直に、健気なまま、オトナをやっているんだろう。

 

 

彼らはいつも、

胸に抱いた、たった一人の愛する人しか見えていない。

どんなに、許されないことでも、報われなくても。

 

 

 

胸を刺す、甘い痛みだけを頼りに

長い年月を越えていく人たち。

 

 

そして、最後まで、報われない。救いがない。

 

 

誰か、

手に入るものだけで満足して、

平凡に、フリでもいいから、

形式的な幸せを手に入れて、観ているこっちを安心させてくれませんか。

 

 

でも、彼らにはその自由な生き方をそのものが、

幸せなんやろか。

 

 

安易なハッピーエンドが得られないからこそ、


幸せってなんなんだろうっていう、

形のない問が、形を取れないまんま、

観終わった後も、心の中にぶら下がって揺れている。

 

 

 

映画は終わっても、

なにかが自分の中で終わらない。

 

 

良くも悪くも、

スッキリさせてくれないのがフランス映画なのですね。

 

 

これまで、

映画とその国の関係をあまり意識せずに観ていたんだけれど、

 

こんなにも、文化的な違いは、はっきりとわかりやすく、

映画の隅々にまで、染み渡っているんだな。

 

 

これまで観てきた映画は、意識していなかったけれど、

たぶんほとんど、アメリカか日本のものだったのだと思う。

 

だから、  アメリカ・日本映画的ではない、

最後にカタルシスが得られない事態に慣れていないし、耐えられない。

 

たぶん、私は、

努力は報われるとか、良い人は幸せになれるとか、


嘘でもいいから、そういうふうに信じたくて、ハッピーエンドが欲しいんだと思う。

 

幸せな涙を流してスッキリしたくて。

 

 

でも、フランス映画だと、


そんなの関係ねえやっていうか、

先のことはわからないし、

私は今日を、愛する人のことを思って楽しく生きるわっていう、

やけくそとも違う、  

前向きな諦念みたいなものがあって、

 

登場人物たちも、

本格的に絶望的な状況の中で、

(そんな状況に陥る前になにか手を打て、とつっこみたくなるんだけど )


泣きわめいたりもするんだけど、

でも、その一方で、わりと平気そうにケロッとして、冗談を言ってたりしていて、

 

重くて苦しそうなわりに、

けっこう人生楽しんでますけど何か?的な感じもあって、

 

その重さと軽さのバランスに慣れなくて、最初は、

「なんだこの人たちは!」ということばかり考えてしまい、

ストーリーや演技に集中できなかった。

 

 

 

こういう形のハッピーエンドに向かわねばならぬ、

私は報われねばならぬ、という

努力と結果の相関みたいなのにどこか無頓着で、

 

「幸せ」の定型に囚われて、そのゴールに向かうことをしていないから、  

 

側から見たら不幸せだけど、割と平気っていう、

そんな感じなのかしら。

 

 

 

ハッピーエンドの映画は確かに、その時はスッキリといい気持ちになるんだけれど、

あれは結構、呪縛かもしれない。

 

 

ハッピーエンドを前提とすると、


実際の人生の中で、自分が思い描いていたハッピーのレールから転げ落ちた時に、

不幸な私の物語がスタートしてしまうから。

(女性は割と、「不幸な私」も好きだけど)

 

 

ちょっと脱線すると、

少女漫画も、割と呪縛だと思っている。

 

特別かわいいわけでもなく、不器用な私だけれど、

同じクラスの超イケメンの彼(しかも割といいやつ)は、

なぜかそんな私のいいところを見つけてくれて、

無条件に愛してくれて、


それで、ストーリーが大人になるまで進むやつだと、

その彼とそのままゴールインしてしまうという…。

 

あるかっ!笑

 

少女漫画大好きな友人が、

中学のころ、初めてできた彼氏に振られて、


「別れるとか、そんなシナリオ知らなかったから、

これから先どうやって生きていったらいいのか本気でわからなくなった」

と言っていた。笑

 

 

夢を見せてくれるのはいいけれど、


幸せの定義を明確に限定されると、

そこからはじき出されるたくさんの人にとっては、その逆が不幸の定義になってしまう。

 

 

「最後には報われる」型のストーリーばかり摂取していると、

 

信じていた人に裏切られるとか、

頑張ったのに報われないとか、

なにも悪いことしてないのに、突発的な事故にあうとか、

 

因果関係の輪からはずれたところから突然やってくる、

理由のない不幸に耐える力が弱くなる。

 

 

 

その点、フランス映画は、

人生はそんなにコントロールできるもんじゃないし、

事故は起きるし、人は死ぬし、愛は突然降ってくる。

 

そんなの、しょうがないじゃないっていう感じ。

 

 

突然、落とし穴に落っこちても、


スッと立ち上がり、埃を払い、肩をすくめて「やれやれ」と笑うような、

軽やかな強さを感じる。

 

 

そういえば、知人のフランス人男性から聞いた話で、


その人の母親が旅行をしていた時、数秒目を離したすきに、

彼女のトランクケースがまるごと盗まれてしまったそうな。

 

 

旅行中にトランクケースを取られるとか、想像するだけで辛い。

私だったら、歯ぎしりして眠れなくなりそうだけど、笑

 

彼女は、

「あのトランクケースの中、マックブックが入ってたのよ。

泥棒も、マックブックを手に入れられて、盗った甲斐があったでしょうね。ラッキーね」

と笑っていたという。

 

な、なんて粋でかっこいいんだ…。

会ったこともない人だけれど、ファンになってしまった。

 

やっぱりフランス人は、突然の不幸にも割と強いのかもしれない。

 

映画の中でも。現実世界でも。

 

 

 

と、フランス映画全般の話ばかりになったので、

最後にちょっと「天井桟敷の人々」の話を。

 

 

詩人のプレヴェールが脚本を書いているので、

言葉の一つ一つが、宝石観たいに美しくて、


その、歯が浮きそうなセリフを

しっかりと自分のものとして、サラッと言えてしまうのも、フランス人のなせるワザ。

 

 

誰も悪くないのに、

誰も幸せになれない、

誰も、誰にも届かない、

最後まで止まらないメリーゴーランドのようなお話し。

 

 

どんな大金持ちだって、

愛する人の瞳の中の、

小さな光すら手に入れることができなくて。

 

(ある意味)囚われの身のガランスが、

一人の時に歌う、「私は私 このまんまなの」が

彼女に似合っていて、自由で美しい感じがとても素敵。

 

 

 

ガランスとバチストの、

滑稽なほどひたむきな愛が、美しくて、しんどくて、

 

どうか、この愚かな二人の、

ささやかで健気な、光を愛を、

誰も邪魔しないで、そっとしておいて、

世界の片隅で、二人を生かしてあげてくださいと、

 

祈るように観てしまう。

 

 

映画の終わりは、

やっぱりハッピーエンドではなくて、

 

それどころか、エンドですらないような感じ。

 

 

 

え、まさか、そこで終わらないよね、つづきあるよね、いや、ちょっと待って、待って…

 

…終わったああああああああ!!!!

 

 

と、一人で悶えてしまうような感じでした。笑

 

 

本当に、他のフランス映画も、


そこで終わるな!っていうところで、

観客を置き去りにして、唐突に終わる。

 

 

でもね、彼ら、彼女らの人生は、これからも続くんだものね。

 

ガランスも、バチストも、あの幻のパリの街の中で、今でもきっと、

「わたしはわたし」と歌いながら生きている。

 

 

人生は死ぬまで終わらないから、

いつまでも幸せに暮らしました、なんてぬるいことは言わずに、

フランス映画は、続きながら終わっていく。

 

 

また、パリに行ったら、

どこかで、あの美しいガランスに出逢ってしまうんじゃないかと思ってしまう、

そういう不思議な力が、フランス映画とパリの街の中にはある、

 

のかもしれません。


大根おろしアート ねこ

秋刀魚の季節。

大根おろしとお醤油、大好きです。


今日はちょっとおろしすぎたので、、、














初めての大根おろしアートにチャレンジ。笑

水分をよく絞るのがポイントです。




手でいじくりまわしたので、食べられないんですが、、、

捨てにくいなぁ、これ。




実家の猫が恋しくなりました。


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