【2011年、24歳のころ、女一人、インドに乗り込んだときの雑記。
 今考えると、ほんと生きて帰れただけで十分・・・】


『たべもの』


カレー味のう○こではないですが、
基本がカレー味。

カレーしかない、というよりカレー味しかないのだ。

ただ、それは日本人はなんでも醤油味にするっていうのとおんなじかんじでした。



もきゅもきゅと噛んでいるときはあまり辛くないのだけど、

お腹のほうに流れこむと
胃の中でいろんなものがぐわーーーーーーーーーーーーーーっとあばれまわる
ような気がする。

香辛料。香辛料。
カッカ カッカ 熱くなります。



お腹が痛くなるわけではないのですが、
とにかく胃がうごきまわり、

どっと疲れる

食べると疲れる。




味も、、、「おいしい」と素直には言い難い。
強烈にまずい、とかではないのですが、

めっちゃ豆っぽかったり、
めっちゃ芋っぽかったり、

なんていうかぽそぽそボソボソ。

日本にあるインドカレーのほうがおいしいと感じてしまいまし。



飲み物は、
水道水を飲んだらアウト

さらに、レストランの冷たい飲み物に入っている氷には水道水が使われている可能性が大なので

ひたすらひたすら  ホットのマサラチャイ。 

日本のチャイより5倍くらい濃い感じ。

これは、もとからチャイ好きの私にはたまらなくおいしかった。
日本で飲むと、もう薄く感じてしまう。

ただ、これも香辛料みたいのがすごくって
胃の中で大運動会。


ただひたすらに、

カレー(っぽいもの)×チャイ

熱かった。熱かった。


なんでこんなに暑い国で、ここまで体温を上昇させるたべものばっかなんかしら。
毒をもって毒を制すの?免疫?


そんで、かなり気をつけていたけど
帰国後1カ月はおなかぴーぴーでした。。。




『体感温度?』

外は、暑い。ほんと暑い。
反して、エアコンのきいた室内は凍えるほど寒い。

そんで、
私がどちらにしろ死にそうになってる中、

インド人はどちらにしろ
あんま気にしてなさそう。


・・・にぶい?


・・・エアコン、いらないんじゃね?





『信用してはいけない人』

行く前は物乞いを恐れていたけど、
実際に恐ろしいのは、物乞いじゃなかった。

物乞いは無視したり逃げればいい。(まあ、あんまり激しいのに会わなかったってのもあるけど)

怖いのは頭脳戦、心理戦でくるやつ。



たいていのインド人は英語があまりきれいではない
(でも、"Jinglish" に近いのか、それはそれで聞き取りやすい)

そんな中、きれいな英語を流暢に話すやつがいる


たいていのインド人は、態度がぶっきらぼうである (みんなそうだから、それがふつう)

そんな中、穏やかな笑みをうかべ、誠実そうに理路整然と語り、あなたに救いの手をさしのべる人がいる。



そういう人が い ち ば ん や ば い です。


差し出される救いの手は
99.9%ビジネスです。


観光客がインドで感じる混乱や不安につけこみ、
いかにも、な言葉を並べたて
あなたの財布から がぼっと取っていきます。

物乞い的なシンプルな人より、もっと大漁にとっていきます。



あーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー(←思い出し怒り)




『無力感』

海外に行く、というのは

本来居場所のないところに
ポツンと、点として浮かぶ

非常に寄る辺ないもの。

裸の人間がいかに無力か。思い知りました。涙



血のつながり
書類の山
法律
人間関係

そういう、たまにめんどっこくもある
見えない網の目に

知らない間に

どれだけ助けられていることか。





『カオス』

車 馬車 ラクダ車 リキシャー バイク 牛 犬 人・人・人・・・
ぜんぶが、ひとつの道の上にいる

歩道という概念が薄く、非常に歩きずらい
横断歩道もなく、横断の仕方もわからない

歩くだけでものすごく疲れる

最初は、道を横断するときに
車の走っていないスキを狙って走って渡っていたけど、

インド人を見ていると、どうやらちがうらしい

車がいようと、牛がいようと

どうどうと横断して
どうどうと歩けばいいのだった

たまに、他を手で制してとめながら
たまにゆずりながら

車も牛もらくだも人も
みんな道路を使う権利がある、という点で平等であり、
対したちがいはないのであった

区別がない 区切りがない

つらぬく原理は、カオスであった。









『せいかつ』

田舎道。
車窓からみえるもの。


色鮮やかな洗濯物がほしてある

サリーに身を包んだ女性が頭の上に大きなつぼをのせて運んでいる

大きなかめで料理をつくっている


だれかの生活がそこにある

それだけのことで、
こんなに愛しい気もちになるのは

なんででしょう。













『子どもの国』


ありきたりな言い方だけれども、

去年カンボジアにいったときも
今年インドにいったときも

子どもの瞳はキラキラとしていた。



日本は、
「疲れた大人」を前提として成り立っていると思うのだよね、いろいろが。


みんな、いっしょうけんめい働いて疲れているのよ
そういう大人に迷惑をかけちゃだめよ

うるさくしないで
あばれないで

静かに座っていて

いい子になさい



子どもは 火の玉 みたいに
エネルギーの塊であって

発散させなければならないものであふれている




その発散が、東南アジアの国々では
ごく自然に、日常にとけこんで行われていた気がする

みんながじっと静かにかたくなっているような状況が少ないから
子どもがあばれていようと
うるさいって感じないんだよね

楽しそうでいいなあって。




自分の、これは我慢ならん!っていう尺度
これはちょっとやだっていう尺度

生来のもののような気がするけど

実は、かなり環境によるものであって



私は
静かなレストランやカフェで
他のお客さんとあるていど距離をたもっていたいけれど、


インドで、
わざわざ人と離れて
壁際のすみっちょの席をとるのは
私だけだった


みんな大きな声で話すし、

人が座っているとなりに、
自然に他の客も座るのだった


そういえば、小さいころは私も
奥の席に座りたいとか
店のはじっこに座りたいとか
人とはなれたいなんて

ぜんぜん思わなかったんだよね

だんだん、
中学・高校とみんながそう思って、そう行動してるのがわかって
まねするようになって
自分でも、そう思うようになった


「私は疲れているんだから そっとしておいて 静かにして」

自分を 疲れた大人 とみなす

そう思うことで、イライラする対象は増えていくのだよね。

みんなが自制をするから、
誰かがちょっとでも、それをしないと
イライラするのだよね。


子どものエネルギーをけずりとる、
疲れた大人たちの作りだす「世間の目」



うーーん。でも読書って静かじゃないと無理だよなぁ。。。





『タージ・マハル』

おバカな運転手、その他もろもろのインド人のせいで
一番のメインにたどりつけないところであった
泣きそうだった


赤い門から、ちらりとあの白い姿が見えた時
胸がドキドキ高まった


全体が姿を現したとき
涙がでるほどの

美しさと安心感

圧倒的に静かなたたずまい






ついてよかったようー

とおバカな24歳は、ひとりで泣きました。笑



小さいころ、
兄の部屋になぜだか
タージマハルのポスターがあった

大きくなって、
お金を稼いだら

自力で、あのポスターの中にこれてしまった。

不思議だ。



観光客は多く
ガヤガヤしているのに

タージマハルの圧倒的に静かなたたずまいで
うそみたいに静かだった

インドに来てからずっと取り巻いていた
喧騒と不安が
スッと消えて

やさしい膜で守られているような気もちで
ふわふわと歩いた


タージマハルは、「母」のようでした。





なぜか懐かしくて
とても雄大で

やさしく、静かで落ち着いていて、汚れない

どこか憂いをおびている


大きな大きな、
お墓なのです。

溺愛する妻を失った
王様がつくりました

1人の女性への大きな愛
1人の男性の天文学的な財力

それが
こんなにも大きくて
完璧に美しいものを
つくってしまいました





雲がゆったりと流れていた
鳥が悠々と飛んでいた
人はぞろぞろと歩いていた

その中で、タージだけが
じぃっとじぃっと
しているのだった


何百年も、この姿で

こんなに大きいのに、こんなに白いのに
よくもこんなにきれいなままで。ご無事で。

時間の止まった安心感と美しさと
時間の流れにとりのこされたさみしさと


生きてるようで 死んでるようで




またいつか、あなたに会えますように。







fin.