圧倒的だった。

2015年に読んだ本の中で1番かもしれない。

自分のしていることのすべてが無駄に思えるくらい、
圧倒的な本だった。


文章のわかりやすさ、面白さ、
実在の登場人物たちの魅力、
著者が、一人の人間として、その立場でやりきったこと、
全てが圧巻で、呆然とした。
これが文章なのだ、と思った。


10年くらい、
毎日のように本を手に取ってきたけれど、
また新しい地平が開けたようだった。



ボクシング元東洋ミドル級王者カシアス内藤が
引退から4年の歳月を経て、
30歳手前で再起をして、再び栄光を目指して戦う様を
間近で見つめたルポタージュ。

見つめた、というか、
関わりまくりである。

なぜそこまでして、という問いに、
著者の沢木本人も、明確に答えることができないほどに。


なんの利害関係もないボクサーが、
力を尽くして、心残りのないように戦えるようにと、
沢木は駆けずり回る。


損得勘定を超えたところで、
文字通り、
自分の時間も、お金も、
知恵も、気持ちも、
全部そこにかけている。


毎日ジムに通う。
カシアス内藤が、自分の代わりにモハメド=アリの試合を見てきて欲しいと言えば、
二つ返事でアメリカに飛ぶ。

ボクシング業界に詳しいわけでもないのに、
韓国の選手との試合をマッチメイクするために、
韓国語も使えないのに単身で韓国に乗り込む。

どんなにひどい目にあっても、辛抱強く交渉を重ねる。

カシアス内藤が窮乏し、
ボクシングの練習に専念するのが困難になれば、
彼の精神的負担にならないように気づかいながら、
お金を貸す、というかあげてしまう。
本人だって、そこまで余裕があるわけではないのに。



ボクサーのカシアス内藤と、
老齢のトレーナーのエディ、
そして沢木耕太郎が、
全てを駆けて、二つの夏を駆け抜ける。


まるで青春ドラマのようなのだが、
みんないい大人なので、
賭けているもの、背負っているものが重たすぎて、ちっとも爽やかじゃないし、時々、目をそらしたくなるくらい見苦しくて哀れだ。



数ヶ月トレーニングをして臨んだ
試合に勝ったとき、
カシアスの手元に残るファイトマネーはわずか数万円。

国内でも最高レベルのトレーニングをするエディの手取りは
高校生のアルバイト代程度。

家族も背負っている。


青春ドラマみたいに、
爽やかに走れない。

お金や業界の政治の話に絡み取られて、
足がもつれる。
30手前のカシアスの身体に、
戦える時間のリミットが迫ってくる。


同じ夢を見ているはずなのに、
それぞれの事情と限界の中で、
みんな爆発寸前になり、亀裂が入る。


そして、これが現実の話だったというのだから、
胸がギシギシ痛くなる。


みんなそれぞれ本当に魅力的で、
どんな形であれ、幸せであってほしい。
できれば、みんなが一緒にいる時間を楽しく過ごしてほしい、
となまっちょろいことを願わずにいられない。


登場人物が、敵も見方も本当にそれぞれ魅力的だ。(だから辛い。)

下巻のページ数が残り少なくなった時、
もうみんなに会えなくなってしまう、と思うととても切なかった。



それぞれのキャラクターがしっかりと立っている。
かといって、大げさにカリカチュアされた感じでもなく、
一人一人の人間が持つ、さりげない癖や傾向や面白みを、
沢木の目が事細かに、温かく、そして冷静に汲み取っている。

みんな、文字の中で
しっかりと呼吸をし、汗をかき、皺が刻まれている。


個人的には、トレーナーのエディさんが大好きだ。
彼の下手な日本語の持つ味わいや、
言葉が不自由なせいで、数10年暮らす日本に未だにしっかり根を下ろせないもどかしさなんかが、
みていて(読んでいて)たまらない。




カシアス内藤の描写も当然素晴らしい。

天に恵まれたボクシングのセンス、
黒人とのハーフとして生まれてきたことで背負った業のようなもの、
時間にルーズで投げやりなところ、
都合の悪いことを人のせいにする子供っぽさ、
少しずつ自分を制御できるようになる様子など、全部含めて、
どうしても愛してしまうキャラクターなのだ。

沢木の、応援せずにはいられなかった心情が、じんわりと伝わってくる。


トレーナーのエディに言わせれば、
カシアス内藤は「優しい子」だ。

相手の弱点を攻めることができない。
息の根を止める最後の一撃を繰り出せない。

優しいボクサーって、なんてしんどいんだろう。
リングの上に上がれば、誰でも自動的に獣になれるのかと思っていた。


引退前の全盛期から、
圧倒的な才能があるのに、その「優しさ」
のせいで、勝っても中途半端な試合ばかりやっていたという。

彼は、殴り合いが純粋に好きなわけではないようだ。




命を削りながら戦って、
大したお金ももらえない。

30くらいで引退したら、
残されるものはボロボロの身体だ。

そんな大変なことをしている人たちはみんな、好きでしょうがないからやっているんだと思っていた。
だから、本人が幸せなんだからいいって思ってた。


でも、内藤も、対戦相手の1人の大戸も、
ボクシングが好きか、と言われたらそうでもない。

ずっと苦しい。

気がついたらその道の上に立っていた。

殴ったり殴られたりするのは怖い、嫌だ。
でも、半端なまま終わる自分が許せない。なにか、このままでは終われない。


なにを求めているのかわからないまま、
必死に拳を前に出す。



その姿がショックだった。
こんなに辛いんだから、
せめて好きであってほしかった。


でも、もう、
好き、とか嫌い、とかそういう言葉で言えないくらいの、
そういうものなのかもしれない。
どこかの道の上で、踏ん張り続けるということは。


少女漫画の「ハチミツとクローバー」を描き終えた羽海野チカさんに

新しい編集者が勧めたのは、
将棋漫画かボクシング漫画だったそうだ。
(現在、「3月のライオン」という将棋漫画を連載中です。)


その話を知った時、ポカンとした。
彼女のほわほわした画風で、ボクシング、、、?なぜ、、、?

でも、この「一瞬の夏」を読んでから、
なるほど、ボクシング漫画もありだったのかもしれない、と思った。



身体を壊したりしながら、漫画を描くのが好きなのかもわからないけど、机に向かい、原稿の白を埋め続ける羽海野さん、

白いキャンパスと取っ組み合い続けるはぐちゃん、

将棋の盤にしがみつき、自分の居場所を守るために次の一手を探し続ける零くん。


好きだとか、そういうわかりやすくて綺麗な理由を超えたところで、
とにかく次の一手を打ち続けなくてはならない人たちがいるのだ。




そのもがきの中で、ときたま、
たくさんの人の心を打つような作品や成果が生み出される。


その果実を消費するだけの私たちは、
いいなぁ、好きだなぁ、すごいなぁ、と感動しながら、


同時に、
自分ががんばらなかった分まで
この人はがんばって、こんな素晴らしいものを産んだんだなあと、
その最後の結果だけ見て感動してるんだなあと、

自分がなにかをサボっているような、
ちょっとした罪悪感とか、変な居心地の悪さを覚える。


その暗い罪悪感のファインダーから覗く彼らはいっそうピカピカして見えて、
やっぱり眩しい。
彼らの心情とは関係なく。










本を全て読み終わってから、
カシアス内藤の顔を調べてみた。

ちょっとドキドキした。

なんだか、想像していたのとかけ離れていたら
ちょっと夢が崩れる気がして。


初めに出てきたのは、
もうおじいちゃんになった、現在のカシアス内藤の写真で

いや、それはそうだろうけど、それじゃないんだよ、、、と脱力していたら、
若い頃の写真も出てきた。


思わず、
「うわぁ~内藤だぁ~」とほころんだ声がでた。
チリチリのアフロヘアー。
褐色で筋肉隆々の美しい肉体に、
優しそうに垂れ下がった目尻。

もう、どう考えても、この人こそ、
寸分違わずカシアス内藤なのである。








この作品が本になってヒットしたことは、
彼のその後の人生にも、きっと計り知れない影響を与えたのだと思う。



彼がこの本をどんなふうに読んだのかはわからないけれど。

彼の孤独な苦しい戦いを、
ここまで親身に温かく厳しく見つめた目があったことを、私は、人ごとではないくらいに、
とてもとても、嬉しく思った。