以前、とある機会に『嫌われる勇気』という書籍についてまとめたので、レビュー代わりに転載。長めです。


嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え/ダイヤモンド社
¥1,620
Amazon.co.jp



【本のファーストインプレッション】

青い装丁にでかでかと書かれた「嫌われる勇気」の文字。書店店頭でずらりと面陳されたその佇まいを見たとき、はっきりとした嫌悪感を抱いた。



(どうせあれでしょ。人を蹴落として、嫌われても気にせずに突っ走って権力を勝ち取れ、みたいな…。自己啓発ビジネス書的なやつでしょ。あーやだやだ)



今思うと、「嫌われること」に対する「嫌悪感」が、自分はそれだけ強かったのだと思う。 

その後、ふとしたきっかけでアドラー心理学に興味を持ち、アマゾンで検索したところ、再びこの本にたどり着いた。




【アドラーについて】

アルフレッド・アドラー(1870 1937)は、オーストリア出身の精神科医、心理学者、社会理論家。フロイト、ユングと並ぶ心理学の三大巨頭の一人だが、日本では最近まで認知度が低かったらしい。




【書籍内容】

「世界はどこまでもシンプルであり、人は今日からでも幸せになれる」と説く哲学者のもとへ、「そんな思想を認められない」、と青年が訪れる。

哲人と青年の対話をとおして、「アドラー心理学」の全貌を理解できる、ストーリー仕立ての入門書。「そんな理想論持ち出されても何にもならんわ!」という気持ちをいちいち青年が読者の代わりに代弁してくれるので読みやすい。

心理学の全貌はまとめきれないので、特に気になった論点のみを以下にまとめる。




① 承認欲求の否定

「他者に認められる」ことを目的にしてしまうと、「他者の期待」に応えるために、「他者の物差し」に従って生きることになる。それは、本当の自分を捨てて、他者の人生を生きることである。


また、承認を求め、他者の期待にそうように生きている人は、実は「自己中心的な人」である。他者が自分に下す評価にしか関心を持たず、他者を見ているようで自分のことしか見ていない。


このように、自分にしか関心を持たない人は、自分が世界の中心にいると考える。こうした人にとって他者は、「わたしのためになにかをしてくれる人」となる。


しかし、「他者は自分の期待を満たすために生きているのではない」から、当然期待が満たされないことがある。そんなとき、彼らは失望し、侮蔑を受けた、裏切られたと感じることになる。このような姿勢は「仲間」を失っていく結果をもたらす。


→FBを代表するSNSは、承認欲求がわかりやすいかたちで出ている。あの場所では、他者の存在が「いいねの数」にまで矮小化される一面はありますね。




→ある女性ファッション誌のサブタイトルは「医師・公務員&有名企業男子が彼女に来てほしい服」。最初は面白いんだけど、読んでいるうちにものすごく疲れてくる。

愛され服を着て愛されテクを学んでモテてモテてモテまくって、そこから先はどこへ向かうのよ君たちは。




② 課題の分離

承認欲求を解消する手段の一つとして挙げられているのが課題の分離。「これは誰の課題か?」「その選択によってもたらされる結末を最終的に引き受けるかのは誰か」という問いから自分の課題と他者の課題を分離し、他者の課題に踏み込まない。自分の課題に介入させない。


助けを請われたら、精いっぱいの援助はする。しかし、その先までは踏み込めない。


「馬を水辺に連れて行くことはできるが、水を呑ませることはできない」


自分にできるのは、「自分の信じる最善の道を選ぶこと」。その選択について他者がどのような評価を下すのか他者の課題であって、自分にはどうにもできない。


対人関係で自由を行使するコストは、「他者から嫌われること」。他者の評価を気にかけず、他者から嫌われることを恐れず、承認されないかもしれないというコストを支払わない限り、自分の生き方を貫くことはできない。

  わざわざ嫌われる生き方をしろとか、悪行を働けということではない。




→いろんな人がいろんなことを言うことに対して、ふりまわされすぎていた気がする。アラサーの女子(『貴様いつまで女子でいるつもりだ問題』って本ありますね)であるというだけで、世間はいろんなことを言ってくる(ような気がする)。

なにをしたって、賛成する人も反対する人もいるし、それは自分でコントロールできるものじゃない。「それは自分の課題じゃない」と思えたら、たしかにシンプルで、いいな。



③ 自己肯定と自己受容(ありのまま問題!)

自己肯定

…できもしないのに「わたしはできる」「わたしは強い」と自らに暗示をかけること。優越コンプレックス(自分の価値に自信がないから自慢する)にも結び付き、自らに嘘をつく生き方。

自己受容

…仮にできないのだとしたら、その「できない自分」をありのままに受け入れ、できるようにするべく、前に進んでいくこと。自らに嘘をつくものではない。




自己受容では、課題の分離のように「変えられるもの」と「変えられないもの」を見極め、変えられないものに関しては「肯定的に諦める」。あきらめというとネガティブに聞こえるが、あきらめるという言葉には、元来「明らかに見る」という意味がある。



交換不能なものを受け入れること。ありのままの「このわたし」を受け入れること。そして変えられるものについては、変えていく"勇気"を持つこと。




→「ありのまま」があれだけ流行ったのは、「ありのままの私」(人の目を気にして変に頑張ったりしてない私)を愛したい  VS   「ありのまま」(なにも努力しない)で良いわけないでしょ!の二つベクトルが人々の心を引き裂いているからではないかなー。

いったん、自分をまるごと引き受けること。そのうえで、変えていきたいところ、努力で変えられそうなところは変えていくこと。ありのままと努力の共存。建設的だ。




→自分より頭がいいとか、見た目がどうとか、そういうわかりやすい基準ではなく、「この人、人間ができているな」「かなわんな」と漠然と思わされる人がいる。今考えると、そういう人たちは、「自己受容」ができていて、丁度いい大きさの自信を持っている人たちのような気がするな。





まとめおわり。


この本を読んで、このまとめを書いたのは1年くらい前のこと。


なにか変わったやろか。


自分はもともと、人の目を気にしたり、人と比べたりということをしてしまうほうだから、

それがなくなったとまではいかないけれど、

そうでない考え方を教えてもらったことで、その都度思い出して、戻ってこられるようにはなった気がする。



イイコではなくワガママな自分も、その存在を認められるようになったような。

自分に対して少し正直になれたかも。



まぁ、道は長いものです。

本の中でも、この考え方を真に身につけるには生きてきた年数分が必要って書いてあったし。



人のことも

自分のことも

世界のことも

足しもせず引きもせず、大げさにせずに、オッケーって思える心の大きさとゆとりが持てたらいいなぁという夢。