ごく個人的な話をすると、
今、顔のアザ(太田母斑という先天性のもの)を取る手術を受けて休みをもらい、
ブクッと腫れあがった顔で実家にいて、
夏に録画しておいた「もののけ姫」を見ることにしたんだけど、
この物語って、アシタカがイノシシから受けた呪いのアザを消すために、東の国から西の国に行くところから始まるんだね…。すっかり忘れてた。

私も、アザの治療をして、東の国(豊島区)から西の国(多摩地区)に来ているし…。
なんやこれは。私のアザはたたり神の呪いだったのか。

と、勝手にアシタカに運命を感じてトキメキつつレビューを書きます。


ちゃんと大人になってからこの映画を観たのは初めてで、
初めてちゃんとストーリーを理解できて、
子どもの頃に観た時とは、受け取り方が色々変わった。

1番見方が変わったのは、
ラストのシーンと、物語全体が伝えるもの。
環境破壊を訴える映画だと思ってたんだけど、それよりもう一段深いところまで行くのかも。




記憶では、絶望的なラストだと思っていた。

シシ神様は愚かな人間に殺され、
森も死んで、
村もほろびる。
そういう話のような気がしていた。



でも、実際は少し違った。
シシ神様が倒れた後、山にはまた命が吹き込まれて緑が茂り始め、
人間たちは生き残っている。
また、「いい村を作ろう」と言う。


シシ神様は死んだと思ってたけど、
実態が見えなくなっただけで、
生命を生み、命を見守り、最後に命を摘み取る、その全てのエネルギーとして
永遠にそこにある。

人がたくさん死んだけど、
村もなくなってしまったけど、
彼らは、これで終わりじゃない、自分たちがまだ生きている、という。
彼らはまた、新しいかたちの村をつくる。


全ては結局、生かされている。
生かされている限り、彼らは生きる。
生きている限り、生命である限り、生き延びようとする。

一度失敗したからといって、絶望したからといって、黙って何もせずにのたれ死ぬことはありえない。

また他の命を喰らい、時に環境を破壊して、死ぬまで生きる。


それも、全部込み込みなのだ。
シシ神様に生かされた世界の中で。



生態系の中の一部である人間が、
生態系を破壊していく。
殺しあう。
収奪する。
山や海を壊す、汚す。
文明を築く。栄える。

シシ神様の世界の中で、
そこには善悪の判断はなく、
全て込みで、ただ地球が生かされている。
シシ神様は、裁かない。


あらゆるものを焼き尽くして溶かし尽くした後に
残されて、また繰り返される命。


裁きではなく、
糾弾ではなく、
ただただ、行われていることの記録。繰り返しのストーリー。

人の行いの醜さ、無意味さ、無意味さの中で見つける意味、その中で育まれる心の交流、愛情、野望、憎しみ、もどかしさ。
やがて全て消えていくけど、でもその瞬間にそこにあるものたち。命。

生き物であることと人間であることの狭間で、自然と人口の間で(さらに人口すらも自然の一部で)、何が正しいのか、一人一人が悩むこと。

山で生きると決めた者。
タタラ場で生きると決めた者。

ただ生かされていて、
絶対解のないこの世界で
一人一人が選ぶこと。
一人一人が意味と生き方を見つけること。

空洞の瞳でそれを見つめ、ただ遊ぶコダマたち。
その全てを生かす基盤としてのシシ神様。



とても大きな映画で、
大きな映画は1人の脳みそから生まれてきていて、
駿さんに、作ってくれて本当にありがとうって
なんだかしんみり感謝してしまう、
1人の真夜中だった。