昔から謎だった。


仕事にプライドやこだわりを持った年上の女性と
よくトラブルになる、傷つく。

学生時代はバイト先の御局様にいびられて
バイトを転々としたし、

社会人になってからは、
幸い身近にそういう方はいなかったけれど、

取引相手とか、そういうところで
数年に一回ペースでそういうトラブルが起きた。

全く同じ依頼文を数名に送って、同様に接しているつもりでも(そもそも対面する機会も少ないから、そんなに差はつかない)、
私のやり方に対して怒り気味のメールを送ってくるのは、
前述のタイプの女性だった。


そして、なぜかそういう人に対して
無理目なお願いや交渉をする必要がでてきたりして、
ますます相手は怒るし、
ますます私の胃は痛くなる。


よく考えたら、仕事上で男性
とそういったトラブルが起きたことはほとんどない。

もちろん少しはあるけれど、忘れてしまうくらいの傷しか残らなかった。

関わる人は男女半々くらいなのに。

これはさすがにおかしい。

自分の怖がり方や気の重くなり方もやや過剰な気がする。


そんなことを
部屋で1人もんもんと考えていた。





あ、そうか、

ピアノの先生だ。



そう思いついてから急に涙がでてきて身体がふるえた。



こわい 


こわい  




こわい!!




あーーー

思ってた以上に

こわかったんだ。




私は
保育園から中学の途中まで、10年近く近所のピアノ教室に通っていた。

先生は30代か40代くらいの女性で、
結婚は多分していなくて
実家の自分の部屋でピアノ教室を開いていた。

大きなグランドピアノの上には可愛い小物がたくさんおいてあって、
たまにお菓子ももらえて、
初めの頃は、ただその空間に遊びに行くような感覚で楽しんでいた。

でも成長するにつれてだんだんと指導は厳しくなり、
毎回のようにレッスンで泣かされるようになった。

「フォルテッシモって書いてあるのに!どうしてこれができないのよ!!」

正直そんなことどうでもよかった。
音を間違わなかっただけで褒めて欲しかった。

一つの曲を弾けるようになることの喜びなんて感じたこともなく、
ただただ何も言われずに無事に終わらせられるように必死に鍵盤を叩いた。

一対一のレッスンでは逃げ場がない。
この状況を見ている人もいない。


そうだ、お母さんが来たらさすがに止めてくれるかも。先生も遠慮するかも。

そう思いついて、母親に、
昔のようにレッスンに一緒に来てくれと必死にたのんだ。

しぶしぶレッスンに着いて来てくれることになって、
今日は安心だと思っていたのもつかのま、
相変わらずめちゃくちゃ怒鳴られて私は泣いて、
母親は気にせずに後ろのソファに腰掛けて新聞を読んでいた。

もう、どうしようもなかった。
この指導方法が私にとって正しいと思われてるんだ、と思った。
ここで行われていることが、タダシイコトなんだ。



私の部屋はピアノが大きな面積を占めていた。

エレクトーンとかじゃなくて、ちゃんとした黒くて重たいピアノだった。
中古だったけれど、ドケチな母親にしては、思い切った出費だったと思う。

ピアノには、母が作った白いレースのカバーがついていた。
ぴったりに採寸され、開閉できるようにちゃんと考えて作られていた。
母はいつも忙しそうにしていて、私が手芸の本を見ながらこういうの作りたい、作って欲しい、といってもとても聞いてもらえなかったのに。

両親は音楽が好きだった。

女の子は私1人だった。
母は、美しいピアノの音が響く家庭の生活に憧れていたと言った。

私が音楽を好きならよかった。
ピアノが好きならよかった。

でも私はピアノを弾くことを一度も面白いと思えなかった。
母親の期待や落胆を、なんとなく感じていても。


ただただこなしていただけだったから、
大して上手くもならなかったし、
中学に入り部活も始まり、さすがにもういいだろうと思った。

辞めるという時は、怒られそうな気がしてすごく怖かった。
でも、先生はショックを受けたようで、言葉もあまり発せず、逆に私は動揺した。

私に期待なんてしてないはずなのに、好きでもないはずなのに、
そんな悲しそうにされるのが不思議で怖かった。

悪いことをしたような気がした。

ほとんど何も言えず、気まずい思いでその10年近く通った家を後にした。



今回、パズルのピースがつながったように感じて、
その、仕事にストイックな女性との長きに渡る密室の日々は、
私の人生に想像以上に暗い影を落としていたんだなぁと思った。

でも、人生で他にもつらいことはたくさんあったはず。

そうだ、中学のバドミントン部でも、
顧問のおじさんはすごく厳しい人だったし、しょっちゅう怒鳴り散らしていた。

でも、いま彼のことを思い出しても特になんの感情も湧いてこない。

ピアノの先生と何が違うんだろう?


そうだ、部活では仲間がいたし、私たちはよく顧問の悪口を言っていたんだ。

キモい。
うざい。最悪。
部活行きたくない。


使ってはいけないと言われていた汚い言葉を使うことで、
不快感をあらわにすることで、
相手が間違っていると思うことで、
その状況をくぐり抜けることができたんだ。

「嫌だ」と思った時に
ちゃんと「嫌い」を出せたから、
今はもう何も残っていない。

今、おじさんに苦手意識はない。



恋愛でも、
最悪な別れ方をしても、
相手が悪い!と決めつけてしまえれば、
または状況的にしょうがなかったと思えれば、
その時はどんなに傷ついて怒っても、
怒りを出し切って時間がたてば、
割とどうでもよくなってしまう。
(人によって違うかもしれないけど)

いやー最悪なやつだったけど、おもろい経験したわ(笑)、みたいな。


でも、逆に、
別れた後も
自分が取った行動を否定し、あの時優しくできていたら、あんな言い方しなければ、
と無限のたらればのifに囚われて自分を責め続けていると、
そのことはいつまでも自分の中で現在進行形として残ってしまう。


人を責めても、人の行為は動かせないから、どこかで諦めがつく。

でも、自分のことはコントロールできたはずなのに、と思うから、自責の念はなかなか終わらない。



でも、しょうがなかったんだ。


その時その時の自分の状況、自分の気持ち、そのうえで選んだ自分の行動や言葉があるだけ。

結果から遡って自分の言動を断罪していくと、
因果関係はどこまでも混じり合い、自分は果てしない罪びとになってしまう。


その時その時に選んだ道。
たまたまその時、一時的に起きた結果。
そこに善悪を持ち込むとしんどい。

自分を否定するのは、
本当にしんどい。


目の前から自分を否定する相手が消えても、
自分を否定する自分が残ると、それは終わらないから。






子どもの私は、非力で、1人で、相手を否定する術を持たなかったからこそ、
まだあのグランドピアノが置かれた閉ざされた部屋の中に幽閉されたまま、 
泣き続けていたのだと思う。

そうして、もうそんな場所からは遠く離れた現実の私に、
繰り返し繰り返し、 
同じ悪夢を見させていた。


今回、気づいてあげられたことで、
その子どもがあの部屋から脱出する鍵を手に取ることができたならいいなと思う。



陰口たたいてもいい。
汚い言葉を吐いてもいい。
性格悪くても、いい子じゃなくてもいいから。

辛い気持ちはとにかく身体の外に出してしまうこと。
そうしないと、地縛霊となって自分の心と未来を縛り続けるから。


親の庇護下にある子どもは、
自分のいる場所を選ぶ自由が少ない。

だからこそ、意に添わぬ状況におかれた時は、
心だけでもそこから引きはがして、嫌なことには牙を剥いて反抗したほうがいい。


その時々に
嫌うことで、
怒ることで、
反抗することで、
その時間は終わる。

新しい時間が始まる。


先生なんて大嫌い。
私のこと傷つける人は大嫌い。



今からでも、私は自分のために、
思いっきり反抗してやるのだ。



子どもを密室から逃がしてやるために。




新しい時間を動かすために。







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