よしもと ばなな
2006-02


実家に帰ったときに本棚にあったのでなにげなく手に取った本。
よしもとばななのエッセイ。

読んだことあったかな、あまり覚えていないな、
と読み始めると、これがまた、良くて良くて。


最後まで読んでやっと思い出したのは、
この本は、たぶん私が大学生になって本を読み始めた頃に、
初めてちゃんと読んだエッセイ本だということ。
(10年前くらいだ~)


その時は、小説を少し読むようになっていて、よしもとばななの小説は1冊か2冊か読んだくらいで、
よく知らないおばさんの日記のようなものを読んでおもしろいのだろうか?といぶかしがりながら手に取ったんだけど、
その日常を描く文章の豊かさにすっかり魅了され、
そこに出てくる知らない人たちに好意を抱き、自分もそんな日々の淡い幸せを一緒に味わわせてもらっているようで、

それ以来、私はエッセイというものがけっこう好きだし、
自分もそんなものを書いていたいと思う。


よしもとばななは、
普通の人なら気づかないか気にしないくらいの日常を彩る細かい粒々ののようなものを
いちいちすくい上げて、文章によって息を吹き込む。

繊細な人、というのは感情の網の目の細かな人のことで、小さな小さな感情の粒を、なかったことにできずに、
いちいちキャッチして感じてしまう人なんだと思う。

よしもとばななの文章や、スピッツの歌、羽海野チカの漫画なんかは、
そういう繊細な人による、繊細な人の側に立って、それを守るための作品なのだと思う。

良くも悪くもそれなりにガラスのハートを持って生まれてしまった自分は、
そんなものたちにたくさんたくさん守られているんやと思う。

そういうのが弱さの表れみたいで嫌だなと思って距離を置いたこともあるけれど、
人間の本質って変わらないから、いいかげん諦めて、そういう心を持った自分とたくさんを感じ取りながら歩むだけだ。


今回読んで驚いたのは、
私が20代になって、仕事や恋や人間関係で七転八倒して、
楽しくもあるけれどとにかくキツくって、
どうしたらもう少し楽になるやろうかと
すがるような思いで探したたくさんの考え方、ことば、
読んだこと、聞いたこと、

それらと同じような考え方が、このエッセイのなかにすでにつまっていたんである。


10代の頃に読んでたんかーーーい!



まーーー、しょうがないよね。

結局、人間は経験しないとわからないし、
自分でわかりたい生き物なんだと思う。

自分に切実さがない時には、
それらの情報は、必要がなかったから読み飛ばされたか理解されなかったんだね。



切実に求めているときに
必要なことばに出逢えば、
それは自分の心の中で結晶化して、
コトリと音をたてて、自分の心の貯蔵庫に保存されるのである。


必要なときに必要なものに出会える。
そうじゃないときには、出会ってもわからない。


だから、転ばぬ先の杖はない。

転んでから、「はい、杖」。



だから、転ぶ日も、
はしゃげる日々も、
何が良いとか悪いとか、
ほんとになくって、
痛かったらただ大泣きするんだね。



でも、忘れていても、
この人生で初めて読んだエッセイ本は、私のなかのどこかに確実に残されて、私の身体の中を循環して、
気づかれなくても、ある一定の考え方や感情として、何度も表面に浮かび上がってきたんだろうなと思う。



読んだ本、触れ合った人、消化したパン、吸った空気、
いろんなものが自分を作るピースになって、
だれもがその存在自体が総合芸術みたいなもんであって、

だから人と話すのは面白いし、
エッセイを読むのもやっぱり面白いのである。






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