5月のBEトレ(心屋さんの月一の講演会)に行ってきました。

そのなかでひとつ、心に残った質問者さん(会場にいたお客さん)と心屋さんのやりとりの話。
(数日前の記憶を頼りに、バリバリ主観で書いてるので、細かいところは違うかも)

その方は40代くらい?の女性の方で、
両親に虐げられたこと、認めてもらえないことを、
ずっとずっと苦節ん10年で苦しみ憎んでいて、
ついに両親に反抗して、戦う決意をした。

ところが、
初めて母に反抗的な言葉を使っても、怒られるどころか笑われてしまう。

両親との食事会でガツンと言ってやろうと意気込んでいっても、
ちゃんと言えず、なんだかなぁなぁに良い雰囲気で終わってしまう。

どうしたらいいかわからなくなった。
戦いたいのに。



実は両親は私のこと嫌いじゃなかったのかも
実は私、幸せだったのかも
あれ、これまでの不幸って、、、勘違い?

でも、そんなふうに考えたら、
これまでの数十年が否定されるようでやりきれない。


こんな重い内容でも、心屋さんとのやりとりはほとんどコント。

つまり、君はもう恨みを石碑に刻み付けたいくらいなんやな。

そうです、石碑に刻んで毎日綺麗に磨いて拝みたいです。

子どもの代まで代々伝わるように。

はい、息子のお嫁さんにも託します!

いつかは世界遺産に登録されて。

そうですね、私、横で恨みまんじゅう売ります。すっごく不味いやつ。

世界中の恨みを抱えた人がお参りに来るんやろね。



このやりとり、暗いんだか明るいんだか。笑
会場はずっと笑いの渦。


こんなやりとりを見ていると、結局、
喜びや憎しみ、いろんな体験や感情を使って、
私たちは人生を遊んでいるんだなぁと思う。


彼女のとる選択は次の二択。

①これまでのことを水に流して、静かに許して、平和にすごすか

②対決姿勢を整えて、ファイティングポーズをとって立ち向かうか

心屋さんのやりとりの中でも、
結局、②を選んで戦っても、すっきりしないかもしれない、余計に傷ついたりモヤモヤするかもしれないことはわかっている。


でも、それでも、
彼女は戦ってみたかったのだ。
ちょっとワクワクしてるようにも見えた。

両親を説き伏せられなくても、相手にしてもらえなくても、
彼女は初めての「反抗期」をやってみたいのだ。

心屋さんも、最後の方は、
復讐屋さんとか、世の中にはたぶんいろんなサービスがあるから使ってみることを勧めたり笑、

会場のみんなで、彼女にがんばれーーと声援を送ったり。


とっても豊かだなぁって思った。
何をしてもいいのだ。

心理学はたぶん人を安らかに幸せにするためにあるけれど、
その逆を行きたい時もある。


どう考えても薔薇色の未来が見えなくても、
じゃあこの先に何が見えるんだろうって、
茨の道に飛び込んでみたい時がある。


私は去年、好き勝手に生きるよう意識しだしてから、
なんか変な出会いとか経験がいろいろある。

出会い頭に、
あ、この人新しい登場人物だな、となんとなくわかる。

小さなドラマの始まりはいつも不安でワクワクする。

いろんな人と関わって、
楽しかったり悲しくなったり

すっごく落ち込んでるときも、
その様子をドラマのように、クーラーの効いた室内で眺めているような自分がいる。

渦中でその役割を演じながら、
同時に、あーはいはい、このパターンですね、ってええーー!そう来たかーー、
みたいに楽しんで見てる私もいる。


人生は、命を懸けた茶番です。


うまく行きそうでも
行かなそうでも、
やってみたかったら、
その先にあるものを見てみたかったら
やってみる。

なんだっていいし、
幸せにならなくってもいい。


いろんな感情を遊びつくして、
面白い人生(ストーリー)を紡ぎながら進みたい。